ときは平安時代末期。
一谷の合戦で源氏の武将 熊谷直実が平家の若武者 平敦盛を追う。
唐突ですが今日の「クマガイソウ」はこの熊谷直実の母衣(ほろ)に由来する白いラン科植物の和名です。そしてまだ見ぬ「アツモリソウ」は平敦盛に由来する赤い花。
母衣は武士が兜や鎧の背につけた大きな絹布で、「一の谷合戦図屏風」には風を受けて大きく膨らんだ熊谷直実の赤い母衣が描かれています(Wikipedia 母衣)。
クマガイソウ・アツモリソウは共に 絶滅危惧Ⅱ類。
クマガイソウ
熊谷草 ラン科アツモリソウ属に分類される多年草
学名:Cypripedium japonicum Thunb.
高さ:20〜40cm
クマガイソウは写真でしか見たことがなく、この植物園には奥の方に群落があることを知って興味津々でした。
ところが初めに気付いた2019年はすでに花期を終えていました。
翌2020年はコロナ禍で休園。
4月9日、今年こそはと期待して行きましたが、まだ蕾でした。
でも辛うじて咲き始めを撮ることができました。
ほぼ開花した状態。満開はもうあと数日後でしょうか、また出直しましょう。
4月17日 9:40
昼なお暗き常緑広葉樹林を進むと、次は誰もいない針葉樹林帯。
本道から少し小径を入ったところに秘密の花園がありました。
一区画すべてクマガイソウです!
観客は私一人。皆こちらを向いているように見えます。
扇形のひだのある大きな2枚の葉の間から1本の花茎が伸び、提灯のような花が垂れ下がっています。
花の大きさは8cmくらい。
ラン科の花には3枚の萼片と2枚の側花弁、1枚の唇弁があるそうです。
クマガイソウの花を側面あるいは後方から見ると、2枚の萼片がよく見えます。
後の萼片は2枚の側萼片が合着いているのだそうです(萼片は合計3枚)。
その下に萼片とよく似た側花弁が2枚、大きな袋状の唇弁と合わせて花弁も3枚です。
唇弁は大きな袋状。これが風を受けてふくらんだ母衣(ほろ)に見たてられたのですね。
花の中央に蕊柱があり、その左右に黄色い葯が覗いています。
この花には蜜がなく、中央の穴から入った昆虫はさまよった挙句小さい穴に誘導され、葯についた花粉を付けて外へ出る構造だそうです。
側花弁は黄緑色、唇弁は白色調ですが、共に紫紅色斑点があります。この花では左唇弁の紫紅色班が目立っています。
風はらむ熊谷草の花の母衣(ほろ) 吉田朔夏
熊谷草を見せよと仰せありしとか 高浜虚子
春行くと敦盛草の花の幌(ほろ) 吉田冬葉
稚児百合 ユリ目イヌサフラン科チゴユリ属の多年草(←スズラン科、←ユリ科)
学名:Disporum smilacinum
分布:日本・朝鮮・中国
4月9日 花は皆、俯いていました。
4月17日、再訪。
驚きました。花が上を向いているのです。こんなチゴユリは初めて見ました。
花被片は6枚、雄しべ6本、雄しべの長さは花被片の長さのほぼ半分。
しかし既に受粉を終え、花被片も透けて見えます。
来年はもう少し早めの花が見られますように。
トガクシソウ
戸隠草 メギ科トガクシソウ属の多年草(1属1種の日本固有種)
学名:Ranzania japonica
別名:トガクシショウマ(戸隠升麻)
分布:本州北部から中部(積雪のある深山の北斜面)
準絶滅危惧(NT)
チゴユリの近くに植えられていたトガクシソウに花が咲いていました。
残念ながら遠くからしか撮れません。
学名は江戸中期の本草家・小野蘭山に、和名は初めて発見された戸隠山(長野県)に由来しています。
よく見るともう花が咲いているようです。
近寄れないので腕をできるだけ伸ばして接写。
精一杯 拡大しました。
来年見られるかどうかわからないので記録しておきます。
花は3数性で、萼片9枚、そのうち3枚は開花時には脱落。
薄紫色の花弁状に見えるのは残りの6枚の萼片だそうです。
この花は日本人によって初めて学名を与えられた花としても有名です。
1883年伊藤篤太郎(東京大学教授伊藤圭介の孫)はこの標本をロシアのマキシモヴィッチに送り、1886年トガクシソウとして学術誌に発表されました。
しかしこの命名に起因して伊藤は東京大学初代植物学教室教授矢田部良吉から教室出入り禁止処分を受けたため、この花は「破門草」ともいわれたそうです。